ちょこのまほうにかけられて──のべらっくす第5回
短編小説企画。
前回は締め切り間に合わずだったので、今回は余裕をもっての投稿です。
テーマは2/22の猫の日に合わせて「猫」
ちょっとファンタジックなほのぼの話を書きました。
ネズミ視点で猫に追いかけられる話にしようかと思ったのですが、そうすると、この企画で書いた作品4作品中3作品が人間以外視点になるという状態で、それはさすがにどうなの私、ってことでやめました(笑)
【第5回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」
さて、ここから本編です。
時間に余裕を持って書いたので、久々にしっかり文章書いた感じです(おい)
photo credit: Yellow & Black via photopin (license)
「ちょこのまほうにかけられて」
見上げると、どんよりとした雲が空を覆っている。まるで心の色を写しているかのようだ。
太一は小さくため息をつくと、気分転換にもならない曇天の散歩を再開した。
気がつけば時が流れて、いつの間にかあの人は遠くに行ってしまった。
連絡先を聞くどころか、さよならもまたねも言わずに別れた。あえて言わなかったというか言えなかった。
これが最後だと思うと、太一はどうしても家の外に出て、さよならの挨拶をする気になれなかった。
お別れなんて嘘だと思いたかった。
幼なじみのお姉さん──真尋さん。
太一の隣に住む、いや、住んでいた真尋は、小学校の集団登校からの付き合いであった。
当時、小学校で友達ができるかドキドキしていた太一に、三つ上の彼女は太陽みたいな満面の笑みを向けて、大丈夫だよ、と優しく言ってくれたのだ。
きっとあとのときからずっと、太一は真尋に恋していた。
でも、年下である太一を彼女が恋愛対象だと思うはずもなく、彼女に恋人ができるたびに憂鬱な日々を過ごした。
そして、この春。彼女は大学生になるのを機に家を出て行った。交通の関係上、進学先の大学が、実家からだとかなり不便な場所にあるらしい。
距離的にそんなに遠いわけじゃないんだけど、一人暮らしもしてみたいし。
太一が母親に聞いたところ、そんなふうに言っているらしかった。
本人にはとてもじゃないけど、聞けなかった。
話すだけで恥ずかしいというのもあるけれど、それ以上に、話すと泣いてしまいそうだったから。泣いて引き止めてしまいそうだったから。
そんな格好悪いところを真尋に見せたくなくて、太一はその話を聞いてから、彼女のことを避け続けた。
で、結局それ以来話せないまま、真尋は太一の知らないどこかの町に引っ越していった。
ぎゅっと手を握る。
爪が皮膚に食い込む。
皮膚を食い破ればいい。こんな意気地なしの皮膚なんて。
太一はあてもなく、家の近所を歩き続けた。どこにも行けなかった。本当に行きたい場所への道は、太一の知らない道だった。
ふと視線を向けると、見知らぬ少女がジッとこちらを見つめていた。
黒髪黒目。浅黒い肌。薄汚れたボロ布をまとい、頬は痩せこけている。
その幽鬼じみた姿に、太一は一瞬ギョッとなって体をこわばらせる。
背格好を見た感じ、まだ二、三歳の子どものようだ。
浮浪児、というのだろうか、これは。
捨て犬や捨て猫を拾うならまだしも、捨て人間を拾ってもどうしたらいいのかわからない。
固まってしまった太一を、少女はジッと見つめたままだ。
その目の色は、服装や体の状態からは考えられないくらい澄んでいて、そのまま吸い込まれたしまいそうだ。
じっと見つめられ続けた太一がジリッとたじろぐ。
これも迷子と呼んでいいのだろうか。けれど、格好から察するに、親を探してハイ解決、ともいかなそうだ。
そこまで考えたところで、太一は答えを探すのを断念した。
とりあえず、うちに連れて帰ろう。
親に相談して、それからここに連れて行け、と言われた場所に連れて行こう。
そのとき、どうしてそう思ったのかはわからないが、太一はその少女の手を引くと、家に向かって歩き始めた。
結論から言うと、その少女は、太一の家に住むことになった。
ただ、理由が太一には納得できなかった。
「あら、可愛い黒猫ね。飼いたいなら、飼ってもいいわよ」
少女を連れて家に帰ると、太一の母親はまずそう言ったのだ。
ボロ布をまとっていた少女を前に、太一は首をひねった。
どうみても、自分よりも小さな人間の子どもにしか見えない。
先ほど嫌がる少女を無理やりお風呂に連れ込み汚れを落として、その体には太一のお風呂の服が申し訳程度に被されている。もはや太一には小さな服が、少女にはまだ大きいらしい。
少女も太一の真似をするように、首を傾げる。ただでさえゆるゆるの服がその肩から滑り落ちた。
今いるのは太一の部屋である。あまりに両親と意見が食い違うので、諦めて少女を連れて逃げてきたのだ。
どれだけ太一が主張しても、両親は少女を猫として扱った。喉を撫でたり、魚ばかりあげようとしたり。どうにも太一は腑に落ちない。
「お前、いったい何者なんだ?」
太一を悩ませている当の本人は、相変わらず首をかしげるばかりだ。
なんだかだんだん悩むのが馬鹿らしくなってきて、太一は重い溜息をつく。
「ま、なるようにしかならないか。お前、名前は?」
少女が思いっきり首を傾ける。どうやら、わからないと示したいみたいだ。今までの比じゃないほど首が傾いている。そのうちひっくり返るんじゃなかろうか。
「うーん。不便だし、とりあえず、名前つけるかー」
そうして、その少女の名前は、ちょこ、になった。
全身真っ黒だから、どうにもチョコレートが思い浮かばずにいられなかったのだ。
*
それからは、なんだかんだで平穏な日々が流れた。
春休みで学校はなく、特別仲のよい友人もいなかった太一は、日がな一日家でゴロゴロしていた。もちろん、その隣にはいつもちょこの姿があった。
初めは見慣れぬ場所に萎縮した様子だった彼女だが、次第に太一の部屋の光景にも慣れ、太一が油断すると部屋の中が泥棒に入られた後のような惨状になることが何度もあった。
太一が怒って怒鳴ると、ちょこはシュンと肩をすくめて反省の色を見せるのだけれど、それも一瞬のことで、次の瞬間には太一のノートを破いていたり、勉強机の上に乗って暴れまわったり。本当に目が離せない。
両親はというと、これもまた教育の一貫としていいだろう、と食事以外は我関せずを貫いている。何が起こってもちっとも手を貸してくれやしない。
それでも、ちょこと過ごす日々は飽きなくて、太一はその頃、真尋のことはすっかり忘れ去っていた。
*
春休みの終わりを間近に控えたある日のこと。太一は春から通う高校の真新しい制服の試着をしていた。
合格発表の時に注文したものが、入学式の直前になってようやく届いたのだ。
袖を通してみると、丈はぴったりで、でも、その制服をした自分はなんだか自分じゃないみたいだ。中学が詰め襟だった分、ブレザーなのが余計と違和感である。
「ちょこ、どうだ? 似合うか?」
振り返って見せつけると、ちょこはジッと太一を見つめて首を傾げる。それからそろそろと近づいて、制服に手を触れた。何かを確かめるように、ズボンをなでなで。
何がわかったわけでもないのか、再び首を傾げる。
それから、弾かれたように、部屋を飛び出した。
「は、い?」
不意をつかれて、太一は呆然として開きっぱになった部屋の扉を見つめる。
一瞬、トイレに行くのを我慢していたのかとも思ったけれど、そうじゃないと心の声が告げていた。
さっき、玄関の扉が開く音がした。外に出ていった。
一気に顔面蒼白になって、太一は制服を着たまま走りだした。
ちょこはこの家に来た時から一度も外に出たことがない。
それまで生きていたのだから、危ないところはわかっているのかもしれないが、この数週間世話してきた時のことを思うと、そう楽観視はできなかった。興味のあることを見つけると、脇目もふらずかけだしてしまうのだ。
それが、車の行き交う大通りだったら。最悪の事態が頭をよぎって、太一は思わず首を横に大きく振った。それは考えないことにしよう。
家のある狭い路地から、本通りに出る。車道の向こうに黒髪がなびいた。
「ちょこっ!!」
名前を呼ぶが、ちょこは気づかなかったのか、向こうの路地の奥にかけていく。
太一は慌てて歩道橋をかけあがると、ちょこの後に続いた。
黒い影が前方を走っている。
小さな少女の足なのに、なかなか太一は追いつけない。
走って。走って。路地を曲がり、さらに曲がり。
ついに太一の足は止まってしまった。
息が切れる。
もうこれ以上は走れなかった。
「あいつ、どんな体力してるんだ……」
大きく肩を上下させながら小さく毒づくと、太一は辺りを見回した。
「あれ?」
ここ、どこだ。
気づけばかなり遠くまで来てしまったらしく、周りの景色にはさっぱり見覚えがない。
逃げ出した少女(黒猫)を追って迷子とは、なんとも情けない。
が、帰り道はまったく分からなかった。
「あーもうっ、ちょこのやつ何してんだよーー」
思わず大きく声をあげて叫んで地べたに座り込めば、もうまったく立ち上がれなかった。
太一は帰宅部なのだ、いくら育ち盛りで体力があるからって、こんな長距離走には慣れていない。
だが、こうやって道路の真ん中に座り続けているわけにもいかない。そういえば、新品の制服が汗でベタベタな上に、地べたに座ったせいで薄汚れてしまった。
「あーあ、これ、母さんに怒られるなぁ」
そう言いながら、ポケットを漁るが、やっぱりスマホの姿はない。
いつもなら、ズボンのポケットに入れているのだけれど、さすがに試着の最中だったから部屋の机の上に置いたままだ。
さて、どうするか。少なくとも、誰か道を聞けるような人のいるところまで移動しなければならない。
でも、どうにも足はいうことを聞かなさそうである。
「ほんっと、勘弁してくれよぉ」
情けない声を上げると、それに答える声があった。
にゃーん
「猫?」
もしかして、ちょこかと思い、声の出処を探す。
太一はちょこが人間だと疑っていなかったが、両親があれだけ黒猫だというので、あり得えないこともない。
そして、その声の主は路地の角から現れた。
スラリとした体。細い足。長くてキレイな茶髪に、優しい笑みを浮かべた顔の女性。
その腕には、つややかな毛並みの黒猫が抱かれている。
「ちょこ?」
名前を呼べば、その黒猫がにゃーんと鳴いた。
「太一くん?」
その鳴き声の後ろから、名前を呼ばれ、初めて黒猫を抱く女性にしっかりと意識が向く。
「まひろ、さん?」
驚いたことに、それは真尋だった。
引越し先はそんなに遠くないと聞いていたけれど、走り回っているうちに、そんなところまで来ていたなんて。
真尋の方も、予想だにしていなかったようで、黒猫を抱きかかえたまま目を丸くしている。
「よかったぁ。もう、会えないままになっちゃうのかと思った」
そう言って笑う真尋は、太一が一番好きな真尋のままだった。
*
そうして、太一と真尋は再会し、そのまま交流が続くこととなった。
少女の姿のちょこは消えてしまい、それから一度も姿を見せなかった。
真尋が抱きかかえてきた黒猫を両親に見せれば、おかえり、と言われたし、名前を呼べば反応するから、たぶんこの黒猫がちょこなのだろう。
あの数週間、太一にだけ人間の少女に見えた理由は、今でもわからないままだ。
でも、わからないままでいいのかもしれない。
なにはともあれ、二人は再会し、今も幸せに二人の日々を過ごしている。
その隣には、当然のように、毛並みの良い黒猫の姿があった。