創作の箱庭

オリジナル小説置き場。企画物やら短編やら長編やら。ファンタジックなの多め?

海に焦がれて~1000チャレ10

 健吾が助けた女は、浩一がおぶって救護室まで運んだ。慣れない人を抱きかかえながらの泳ぎをしたせいか、健吾は疲れきって付添人用の椅子でぐったりしている。救護担当のおばちゃんによれば、命に別状はないし、目が覚めたら水を飲ませて、しばらく休ませるぐらいで問題無いらしい。それもこれも、落ちた瞬間を目撃して助けに行った健吾のおかげだ。
 浩一は、向こう見ずに一人で泳いで行かずに、先に知らせればよかったのに、とかなんとかブツクサ言っていたけれど、アキは健吾のその潔い行動力には好感を抱いていた。
「しっかし、なんであんなところにいたんだろーなぁ。海水浴客はあんなところ普通いかねーだろー」
 疲れが抜けないのか、喋り方も気だるげな健吾が誰にともなく話しかける。
「ほんまに、なーんで、あんなとこにおったかねぇ。あそこは地元の人間でもめったに行かんのに。みょーな噂もあるし」
 救護のおばちゃんが、応えるのを黙って聞いていたアキは、噂、という言葉にギクリとした。
「噂?」
 この中で唯一地元の人間ではない健吾が、噂に食いつく。
「噂っちゅーか、伝説、っていうかね。竜宮伝説って言うて、あの岩場から海に入ると、竜宮城に辿り着けるっていう。ちゃーんとした伝承も近くの神社には残ってるっつー話やけども、あたしは聞いたことないから詳しくは知らんのよ。
 あーでも、ごく最近、本当に龍宮城に行った子どもがおったって話が──」
「あ、おぼさん! その子、目を覚ましそう!」
 救護のおばちゃんを遮って、アキが不自然な大声を出す。が、実際に女の目元が震え、ゆっくりと瞼が開いたことで、その不自然さに気づいた者は誰もいなかったようだ。
 アキは心の中でホッと息をついた。
 竜宮伝説。実際に龍宮城に行ったという子どもの話。どちらも耳に新しい話じゃない。それこそ、アキがまだ小学生の頃から耳にタコができるほど聞いた話だ。そんな話、アキは信じない。いや、信じられなかった。信じていたら、今、何かが違っていたかもしれない。

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 目覚めた女は、ひとつ、ふたつ、とまばたきを繰り返し、それから、ゆっくりと起き上がると、周りを確かめるようにぐるりと周囲を見回した。
「ここは……」
 鈴が鳴るようなという言葉が似合う繊細な声が女の口から零れる。
「海水浴場の救護室。お前、岩場から落ちて溺れたんだぞ」
 しかも、よりによってあの岩場で、という言葉が出そうになるのを、浩一はぐっと飲み込んだ。見ず知らずの女にそれを言ってどうなるのだ。

(1031文字)

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明日ようやく女ががっつりしゃべりだすぞー。